大久保時三郎


 

 大久保時三郎は山梨県東八代郡境川村生まれの博打打ち。甲府の米屋から妻タケを略奪すると、手に手を取って上京した。元手は道中で使い果たしてすっからかん。何かうまい儲け口はないものかと思案して、行商人を襲うことを思いついたというから極悪非道のこんこんちきだ。
 山梨県は紬の産地である。秋口になれば紬商が上京し、何ケ月も商いする。これに眼をつけた。行商中の売り上げと反物を横取りすればいい稼ぎになると踏んだのだ。

 明治38年(1905年)11月、時三郎は行商中の紬商、小池大次郎(29)と渡辺善重(30)の両名を殺害し、現金と反物を奪った挙げ句に、遺体を寄宿先の東京市小石川区表町、信州善光寺出張所集会所の床下に埋めた。これだけでは事件はおそらく発覚しなかっただろう。遺体が見つからなければ、両名の行方不明が知れるのは何ケ月も後だからだ。ところが、欲をかき過ぎたために、時三郎はお縄となるのだった。彼はかくなる書状を親元に送りつけたのだ。

「貴殿子息大次郎及び善重両人、紬類販売のため小生方に来、小生に金策を依頼し、金百四十円を御用立てす。いまだに返金なく、利息二十九円五十銭も小生にて立て替え置く。迷惑千万、元利金とも至急送金されたい。万一送金なきときは、その筋に告訴し、詐欺取財犯として捜索したい」

 盗人猛々しいとはこのことだ。てめえで殺しておいてこの言い草。呆れて物も云えない。しかも、この書状により警察が動き、翌年2月19日に時三郎が逮捕されたわけだから、間抜けと云うほかない。
 結局、時三郎には死刑判決が下された。強欲は無欲に似たり。恰も強欲を戒めるかのような一件であった。

(2009年6月1日/岸田裁月) 


参考資料

『別冊歴史読本・日本猟奇事件白書』(新人物往来社)


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