さらばアフリカ
AFRICA ADDIO

伊 1966年 79分
監督 グァルティエロ・ヤコペッティ
撮影 アントニオ・クリマティ
音楽 リズ・オルトラーニ


『続世界残酷物語』の3年後に公開されたヤコペッティの自信作。私も最高傑作だと思うが、テーマをアフリカに絞ったために観客の喰いつきは悪く、興行的には惨敗だった。しかし、作品的には初めて評価されて、イタリアのオスカーと云われるダヴィッド・ディ・ドナテルロ賞最優秀作品賞を獲得。まんまと世間を騙したが、実は「やらせ」だらけである。

 本作は、白人支配から脱して次々に独立、欧米風に変化していくアフリカをとらえた「ドキュメンタリー」である。ヤコペッティは別の映画のロケのためにアフリカに赴いていたのだそうだ。ところが、折しもの独立ラッシュの動乱に巻き込まれて、衝撃的な映像の数々をものにすることができた.....というのであるが、機を見るに敏なヤコペッティが英国植民地時代終焉の予兆を見逃す筈がない。この映画のシナリオは予め想定されていたのだと思われる。「悲惨美」を追求するヤコペッティにとっては、当時のアフリカはまさに「素材の宝庫」であったわけだが、驚くべきなのは、充実した素材を前にしてヤコペッティはなおも「やらせ」を撮り続けたことである。

 例えば、絶滅に瀕する野生動物の保護団体本部のシーン。
『電撃フリント』のようなB級スパイ映画を連想させる指令室で、数十人の職員が働いている。中央には巨大な地図があり、保護動物の模型を無線連絡に基づき動かす職員。どう見てもやらせである。
 その後に続く、親を殺されたシマウマの子をヘリコプターで保護するシーンは、本作で最も美しい映像である。しかし、落陽を背にしたヘリコプターは日没に至るまでカメラの前にいる。これは、このシーンを何度も撮影した証拠であり、やはりやらせであることは明白である。
(その間、シマウマの子はヘリコプターに釣られたままでいたのであり、動物虐待も甚だしい)。


 やらせの極みは「ザンジバルにおけるアラブ人の大量虐殺」であろう。
 この事件が現実にあったことは確かである。しかし、今日ではこの映像がやらせであることには異論がない。
 実際に本編を見ると、おかしな点が多い。虐殺を逃れて海へと逃げるアラブ人。撮影隊はその姿をヘリコプターからとらえる。しかし、次のカットはその翌日に飛んでしまう。浜辺に累々と横たわる屍体の衝撃映像。凄まじい「悲惨美」であるが、肝心の虐殺シーンは何故かとらえられていない。このことは「虐殺シーンを再現するだけの予算がなかった」ということなのだと思われる。そして、屍体からは血が一滴も流れていない。スローモーションで確認したが、本当に一滴も流れていない。「血のりを使うと後で掃除が大変」とか、いろいろな事情があるのだろう。


備考

 そんな本作にも、本物の殺人が収録されている。終盤における傭兵による処刑シーンがそれだ。このシーン、カメラがあまりにも接近し過ぎていて、ヤコペッティは殺人教唆により告発された。この告発はイタリア司法省の調査により却下されたが、真相は不明である。


関連人物

グァルティエロ・ヤコペッティ(GUALTIERO JACOPETTI)


 

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