ほんとにあった! 呪いのビデオ

ブロードウェイ 1999年 54分
構成 中村義洋
   鈴木謙一


 これは映画ではないのだが、モンド映画の歴史を語る上で避けては通 れない作品なので、御紹介しよう。

 私がこのビデオを見る気になったのは、「怪奇探偵」としてお茶の間でもお馴染みの小池壮彦氏の著作『呪いの心霊ビデオ』を読んだからである。
 小池氏は「幽霊」を肯定しつつも、事例を客観的に分析して、論理的な結論を導き出すという新しいタイプの研究家で、「怪奇探偵」と呼ばれる由縁であるが、かと云ってインチキだと判っても「と学会」のように笑い飛ばしたり腐したりせずに、淡々と報告する立場を取られており、私はこの客観を貫くスタンスに好感を持っている。
 その氏が巻頭から「画期的な心霊ビデオ」として紹介していたのが本作なのである。
 で、何が「画期的」かと云うと、本作の冒頭で紹介される1本のビデオ、これがどう見ても本物にしか見えないというのである。「怪奇探偵」をして本物にしか見えないと云わしめるほどに完成されたこのビデオ、巷ではかなりの影響力があるらしく、
「ここ数年、私のところにも問い合わせがあいついでいる。『呪いのビデオ』を見てから幽霊に悩まされるようになったというのだ」
 これは見ないわけにはいかないじゃないか!。私は早速入手した。


 問題のビデオは、引っ越し祝いをする若者たちの背景にあるテレビの画面に一瞬だけ、髪の長い女が映る、というものであった。私は思わずつぶやいた。
「『女優霊』やんけ」
『女優霊』を観ていない人にとっては『リング』の貞子である。いずれにしても、ここ数年の間にメディアを通じて世間に定着したイメージであり、それが偶然、現実の幽霊として像を結ぶ筈がない。このビデオがインチキであることは、この時点で明白である。

 しかし、撮影は手持ちカメラで、画面は終始揺れており、後から合成することは神ワザに近い。
 だから「どう見ても本物にしか見えない」のである。
 唯一考えられる方法は、プロジェクターによる投影である。これは小池氏も指摘しているが、この後、カメラが左にパンすると、男性の一人が後ろを向いて何かをしている。プロジェクターを操作していたと考えるのが最も合理的である。

 ところが、この作品はこれだけでは終わらなかった。スタッフが「科学的」に調査して、どんどんと新しい発見をしてしまうのである。
 極めつけは「フフフ」。この部屋の前の借り主を調べ出したスタッフは、彼にビデオを見てもらう。彼もまたこの部屋で女の幽霊を見ているというのだ。
「これです。この女です。フフフっていう声まで同じですよ」
「声?」
「そうです。ほら、この声ですよ」
 そこにはたしかに「フフフ」という奇妙な声が入っている。二段階で視聴者を怖がらせてくれるのだ。

 そして、最後にダメ押し。本作の最後に、どこに女が立っていたらテレビに映り込むかの実験をしている映像が再び流れる。そして、画面が天井にズームすると、なんと、そこにも女の顔が映っていたのである。


 本作ではこの他にも計9本の「心霊ビデオ」が紹介される。しかし、いずれも明らかにトリックと判るシロモノでロクなものではない。結局、一番出来がよかったものをメインに据えたという印象だ。
 しかし、小池氏はこのように分析している。

「そういう駄作があえて折り込まれることで、心霊ビデオの基本的かつ他愛のないトリックを、戦略的にさらしものにしているのだろう。(中略)
 しかし一方でそのことにより、岩井さんのビデオ(=最初のビデオ)が合成に見えないことの不気味さが際立ってくる。自覚のないままに、視聴者は暗示にかかる。ほかの映像はともかく、これはホンモノではないかと」

 ここで私が思い出したのが『食人族』である。
 あの映画では中盤に「これはヤラセだ」として本物の処刑映像が流れるが、これも観客の虚実の判断を麻痺させることを目的とした「戦略的」なものだったのだ。
 つまり、本作は『食人族』の、遡ってモンド映画の流れを汲む、巧妙に計算された作品だったのである

 私は心霊ビデオなんかよりも、モンド映画の手法が今日もなお、こんな形で継承されていることに感心せずにはおれなかった。

 なお、「ロクなものではない」残りの9本の中にも、1本だけ、かなり不気味なものがある。生放送中の電波が乱れて、レポーターたちの顔が醜く歪んでしまうのである(左写真)。『リング』の二番煎じに過ぎないが、私には「岩井さんのビデオ」よりも怖かった。


 

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