最後の猿の惑星
BATTLE FOR THE PLANET OF THE APES

米 1973年 87分
監督 J・リー・トンプソン
出演 ロディ・マクドウェル
   ナタリー・トランディ
   セヴァン・ダーデン
   ジョン・ヒューストン
   クロード・エイキンス
   ポール・ウィリアムズ
   ヴァージル リュー・エアーズ
   コリーン・キャンプ


 私と同じ世代の男子ならば、誰もが『猿の惑星』に燃えた時期がある筈である。小学生高学年の多感な時にテレビの洋画劇場で『猿の惑星』全5作の放映ラッシュがあったからだ。
 ドリフに習い、放屁した後に「猿のは臭えッ」と極下らないギャグを飛ばす奴がクラスに2、3人はいた時代、漫画ばかり描いていた私は『豚の惑星』という、これまた下らないパロディ漫画を描いていた。それから、映画好きが寄ると、決まって架空の映画のチラシを描いて遊んだのだが、私が描いたのは『馬の惑星』とか『カバの惑星』。今思い出すに
「そんなに『猿の惑星』が好きか?」
 と情けなくなる。しかし、『最後の猿の惑星』を見た後はマイブームは沈静化。
「どうして俺はこんな下らない映画にウツツを抜かしていたのだろう?」
 と我に返り、マインド・コントロールから脱したのであった。

 第1作の《猿の惑星》は、『トワイライト・ゾーン』のプロデューサー兼ホスト役でお馴染みのロッド・サーリングが企画した、SFマインドに溢れた傑作だった。キム・ハンター(ジーラ)やロディ・マクドウェル(コーネリアス)、モーリス・エバンス(ザイラス)等の名優たちが猿に扮したことも画期的だ。彼らの表情を殺さないための精巧な特殊メイクも評判となり、アッと驚くどんでん返しも鮮やかで世界中で大ヒット。様々な亜流を生み、我が国でも『猿の軍団』というTV番組が作られて、20世紀フォックスから訴えられた。


 大ヒット作の宿命で、直ちに続編が作られた。
 思えば、シリーズの軋みはこの『続猿の惑星』から始まっていた。第1作とは別のロケットがまたしてもタイムスリップに遭い、チャールトン・ヘストンが遭難したのと同じ時代の同じ場所(かつてのニューヨーク付近)に漂着する、というありえない設定。当時小学低学年の私も「安直だなあ」と思ったものだ。しかも、今度の主人公を演じた俳優(無名)もヘストンとそっくりの猿顔で、どうしてヘストンを再び主人公にしなかったのかと不思議に思った。
 これは、思うに、イメージが固定化することを嫌ったヘストンに、続編への主演を断られてしまったからだろう。そのために、こんな無茶な設定にせざるを得なかったのだ。ヘストンも出てくることは出てくるが、最後にちょっとだけである。
 しかし、それでも、今回初登場の人類の生き残りミュータントのグロテスク(マスクを取ると、顔いっぱいに血管が浮き出ている)はなかなかの見もので、当時としてはかなり残酷なシーンも連発。楽しめる娯楽映画ではあった。地球滅亡という救いのない展開も当時の流行で、良心的なオチだった。


 さあ、地球をブッ壊してしまったもんだから、更なる続編を作ることは不可能かに思われたが、コペルニクス的発想の転換で、今度は猿を未来から現在の地球に連れて来てしまった。シリーズ中で最も「モンド」な『新猿の惑星』である。
 どうやって猿を現在に連れて来たかというと、これがトンデモハップン、コーネリアスとジーラの猿博士夫婦がヘストンの乗って来たロケットを修理しており、地球滅亡の直前に脱出。しかし、核爆発の衝撃でまたもやタイムスリップし現在にやって来た、というのだが、前作にはそれらしき伏線はなく、取ってつけたとはまさにこのことだ。
 それでも、そんな無茶苦茶な設定に眼をつぶれば、本作はかなり楽しめる作品である。前半は英語を話す猿と人間のジェネレーション・ギャップで笑わせ、後半では猿夫婦のために将来の地球が猿に征服されることに気づいた政府が、二人を抹殺しようとする。夕陽を背景に二人が寄り添いながら射殺されるシーンは、マクドウェルとハンターの名演と相まって、なかなか感動的である。
 かくして、人類の未来は救われた.....かに思われたが、猿夫婦の子供(現在の地球で出産)がサーカスに預けられていた、というオチ。この子供が次回作の主役になることを予感させて映画は終わる。続きを想定して物語を閉めたあたり、プロデューサーも賢くなったもんだ。


 案の定、猿夫婦の子供シーザー(マクドウェルの続投)を主人公にした『猿の惑星・征服』は、猿が奴隷と化した近未来が舞台。両親の仇を討つべくシーザーが、アホウの猿どもを教育し、自我を目覚めさせ、革命を起こすまでを描いた。これはなかなかの傑作で、私の『猿の惑星』ブームは一気に頂点に。猿と人間の最終戦争が描かれる(筈の)続編に期待は高まる。

「今日はいよいよ『最後の猿の惑星』だよなッ」
 と元気に下校する小学生の俺。数時間後、テレビの前でズッコケることになるとはつゆ知らず、手に汗を握る壮絶バトルをあれこれと想像しながら家路についた。
 ところが、蓋を開けてみれば、壮絶バトルどころか、実にのんびりとした隠居映画。誰もが見たかった筈の猿と人間の最終戦争をすべてはしょって、その後の猿と人間の共存への道をあれこれと模索する戦後処理の物語だったのだ。予算がなかったんだなあ。人気も落ちていたし。
 翌日、すっかりショボクレて登校した私は、しかし、気を取り直して、元気に『最後の猿の惑星』ごっこ。
「猿が猿を殺したッ。猿が猿を殺したッ」
 と大声で連呼して憂さを晴らしたのであった。

 なお、『征服』と『最後』の監督J・リー・トンプソンは、かつて『ナバロンの要塞』や『恐怖の岬』『マッケンナの黄金』をものにした名匠だったが、70年代に入ってからはまったく冴えない。そのあんまりなオチが今なお語り継がれている『誕生日はもう来ない』が決定打となり「名匠」の肩書きを返上することとなるのであった。


関連作品

誕生日はもう来ない(HAPPY BIRTHDAY TO ME)


 

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