サイコ3/怨霊の囁き
PSYCHO III

米 1986年 98分
製作 ヒルトン・A・グリーン
監督 アンソニー・パーキンス
脚本 チャールズ・エドワード・ボーグ
出演 アンソニー・パーキンス
   ダイアナ・スカーウィッド
   ジェフ・フェイヒー


『サイコ』は私にとってオールタイム・ベストなので、『サイコ2』が作られるのは堪らなく嫌だった。前作を凌ぐ作品が出来るわけがない。『サイコ』は巨匠アルフレッド・ヒッチコックにとっても奇跡的な作品だったのだ。ロバート・ブロックの優れた原作。ジョゼフ・ステファーノのトリッキーな脚色。アンソニー・パーキンスとジャネット・リー、そしてマーティン・バルサムの名演。バーナード・ハーマンの信じられないほど素晴らしい音楽。仕上げとして巨匠自らが知恵を絞った宣伝。これらのいずれの要素が欠けても『サイコ』は生まれなかった。そんな作品の続編を、しかもヒッチコック以外の人物が作ろうとは。これを冒涜と呼ばずして何と呼ぼう。

 ところが、『サイコ2』は意外とイケたのだよ、これが。
 まず、トム・ホランドの脚本が予想以上によかった。
 事件から23年後、ノーマン・ベイツは完治して釈放された。これに異議を申し立てる者がいた。前作でシャワールームで殺されたマリオン・クレインの妹、ライラである。このライラ役に前作に引き続いてヴェラ・マイルズを配したあたりが憎い。彼女がノーマンを再び病院送りにするために執拗に罠をかけ、ノーマンの心の平穏が乱されていく様が物語の軸となるのであるが、前作では取るに足らなかったライラという役がこれほど魅力的なものになるとは。マイルズとしては続編と併せて評価して欲しいところだろう。

 そして、前作に変わらぬ、いや、それ以上のアンソニー・パーキンスの名演技。これほどまで役に同化した人がいまだかつていただろうか?。鬼気迫るとは正にこのことを云うのだろう。パーキンスの存在が『サイコ』の続編を作るという暴挙を正当化した、と云っても過言ではない。


 で、『サイコ3』である。
 今度はパーキンス自らが監督である。私は怖くなった。この人、今回は本当にあっちの世界に行っちゃうんじゃないか?。
 ところが、大丈夫だった。『サイコ3』は大駄作だった。どうして駄作になったのか?。以下、私見を述べる。

 物語は前作の終わりから始まる。実の母親だと称する老婆の訪問を受けたノーマンは、彼女を殺害し、再び剥製にして昔の生活に戻って行った。そんな時、かつてシャワールームで殺したマリオン・クレインとそっくりな女がベイツ・モーテルに宿泊する。母親は命じる。あんな淫売は殺してしまえッ。女装したノーマンは再びシャワールームで彼女を襲う。ナイフをかまえてカーテンをガラッと開けると、なんと、彼女は手首を切って自殺しようとしていた.....。
 私はここで、一緒に観ていた弟とともに大声を上げて笑ってしまった。パロディとしてはメル・ブルックスの『新サイコ』より面白かった。なにしろ、本人が大真面目でやっているのだから。
 で、ノーマンは彼女を病院につれて行き、それが縁でいい仲になるのであるが、結局、彼女は母親のおかげで死んでしまう。腹を立てたノーマンが初めて母親に背き、彼女の剥製にナイフを突き立ててチョン。他にもいろいろと殺されるが、主筋と関係ないので省略する。

『サイコ3』はどうして、こんなブザマな作品に仕上がったのか?。
 思うに、パーキンスは半ばヤケクソになっていたのではないか?。
『サイコ』に出演した当時のパーキンスは、友人に「自分のキャリアを決定する作品になるだろう」と述べていたという。実際にその通りになった。従来の青春スターから演技派に脱皮することが出来た。しかし、反面で、ノーマン・ベイツのイメージから脱皮できない、というジレンマが生じる。真面目な彼は苦悩したことだろう。そして、苦悩の果てに居直って、自嘲的にセルフ・パロディを演じたのが『サイコ3』だったのではないだろうか?。

 やがて、彼はエイズに冒される。死期を悟った彼が、今度は真摯な態度で臨んだのが『サイコ4』である。生涯の大役ノーマン・ベイツに決着をつけるべく、物語を犯行前の少年時代に遡らせて、その精神分析を徹底的に試みている。映画としては面白味に欠けるが(だからTVMとして製作された)、『サイコ4』をもってパーキンスのノーマン・ベイツは完結した。彼の生前に完結できたことは、ファンとしては喜ばしい限りである。


備考

 この後に『サイコ』をリメイクしているバカがいるが、こういうのは無視する。『サイコ』のリメイクなど存在しない。しないと云ったらしないのだ。


 

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