| ブルーノ・ハウプトマン | 
|  広大なリンドバーグ邸  誘拐されたチャールズ・リンドバーグ・ジュニア  現場に残されていた手紙 |  チャールズ・リンドバーグを知らない方はおられないと思う。また、その愛児が誘拐され、無惨に殺害されたことも殆どの方が御存知だろう。だが、その犯人として処刑されたブルーノ・ハウプトマンに冤罪の疑いがあることは我が国ではあまり知られていない。中にはリンドバーグ自身が関与していたとの奇説もあり、さすがにこれは眉唾だが、ハウプトマン冤罪説自体にはかなりの信憑性がある。以下、具体的に検証してみよう。 | 
|  ジョン・フランシス・コンドン |  事件から1週間が経とうとしていた頃、72歳の非常勤講師、ジョン・フランシス・コンドンがブロンクスの地元紙に広告を出した。事件が進展しないことに業を煮やした彼は、仲介役に名乗りを上げ、加えて自らの生活の蓄え1000ドルも提供する旨を表明したのである。当初は世間も彼の家族も冷ややかだったが、犯人にとっては渡りに舟だったようだ。翌日にも「3つの円のマーク」付の手紙がコンドンの元に届いた。手紙の中で犯人は、コンドンがリンドバーグから金を受け取った後、『ニューヨーク・アメリカン』紙に「金を用意した(Mony is Redy)」と広告を出せと要求していた。 | 
|  チャールズ・リンドバーグ・ジュニアの遺体 |  それから5週間が経った5月12日、2人のトラック運転手がリンドバーグ邸から7キロほど離れた林の中でジュニアの遺体を発見した。その腐敗の状況から、誘拐された直後に殺害されたものと推定された。 | 
|  ブルーノ・ハウプトマン |  ハウプトマンはまさに警察が犯人像として望んだ通りの人物だった。ドイツ生まれの大工で、しかも前科者だった。ドイツで強盗を働き、仮釈放されたのを機にアメリカに密入国したのである。その背格好も「ジョン」に一致している。逮捕された時に所持していた20ドルの金兌換紙幣はすべて身代金の紙幣番号と一致した。更に、彼のガレージからは念入りに隠された1万4千ドル分の身代金が発見された。 | 
|  ブルーノ・ハウプトマン |  明らかにハウプトマンを有罪にしようとする見えざる力が働いている。現場に残された2種類の足跡から当初は複数の犯行とされていたが、いつの間にかハウプトマンの単独犯に塗り替えられてしまった。現場付近で梯子を積んだ車を運転するハウプトマンを目撃したという証人も87歳の老人で、その証言はかなり疑わしい。また、弁護人のエドワード・レイリーはリンドバーグの熱烈なファンだった。彼がおざなりの弁護しかしなかったのは、ハウプトマンを有罪にしたかったからだとしか思えない。 | 
| 参考文献 | 『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社) |