アンナ・ツィンマーマン
Anna Zimmermann (西ドイツ)


 

 数ある人喰い事件の中でも、特に奇異なケースである。

 1984年7月7日、オランダ国境に近い街、メンヒェングラートバッハでの出来事である。クリスタ・アウスブルグという少女が公園で花を摘んでいると、何かにつまずいて倒れた。はて何だろう? 足元を見るや、あら、ショックぅ! 腐敗した人間の頭部と眼が合ってしまった。
 それは黒いビニール袋に入っていた。その口が開いていたために、少女と眼が合ってしまったのだ。他にも二つの袋があった。中には肉を削ぎ落とされた人骨が入っていた。
 検視の結果は以下の通り。

 男性。身長185cm。年齢は32〜37歳。肩まで伸びた黒髪。死後ほぼ1ケ月。頭部は冷蔵庫で保存されていた形跡あり。

 そこで被害者として浮上したのがヨセフ・ヴィルツだった。身長185cmの34歳。肩まで黒髪を伸ばしたこの二枚目の理髪師は、1ケ月前に大家から失踪届けが出されていた。
 6月2日の土曜日に勤務先の理髪店から帰宅したヴィルツは、月曜日には出勤しなかった。火曜日も出勤しなかった。水曜日も出勤しなかった。なんだよ、あの野郎。うちの給金が安いから、他に鞍替えしたってか? それならそれでいいや。店長はそう思っていた。ところが、大家はそうはいかない。6月分の家賃が未払いなのだ。自宅に電話すれども捕まらない。そこで勤務先に電話をかけたが、無断欠勤が続いているという。あの野郎、逃げやがったか? 合鍵で部屋に入ると家具や衣類はそのままで、逃げたわけではないらしい。冷蔵庫の中は食品でいっぱいである。なんだか判らんけれどもきな臭い。それで失踪届けを出したというわけなのだ。

 警察は当初からカニバリズムを疑っていたようである。というのも、骨からは肉がナイフできれいに削ぎ落とされていたからだ。
 ヴィルツの身辺を洗ったが、とりわけて怪しい人物は見つからなかった。そこで警察は、遺体が入っていた黒いビニール袋に着目した。これには地元のレンタルビデオ店の名前が記載されていたのだ。
 ホラービデオのマニアにはおかしな人間が多い。
 警察はこのビデオ店の顧客リストを押収し、過去にホラービデオを借りた者を一人一人調べ上げた。

 ドイツでは過去に民主的な独裁者を生み出してしまったことへの反省から、表現の自由への規制が先進国の中でも頭抜けて厳しい。しかし、その反動で、恐ろしく残酷な映像が裏で作られている。ドイツ製のスプラッター(血みどろ映画)は陰惨過ぎて眼を覆うものが多い(例えば『ネクロマンティック』とか『新ゾンビ』とか『悪魔のえじき』とか。←閲覧注意)。
 体制に逆らう気骨には「ドイツ人、がんばれ!」とエールを送りたい私であるが、そのスプラッターを観ると「ドイツ人、手を抜け!」と云わずにはおれない。それほどにドイツ製のスプラッターには品がない。やり過ぎである。あれを観ておかしくなる者がいるのも頷ける。
 事実、本項のヒロイン、アンナがおかしくなった。
 結論を急いでしまった。話を戻そう。

 ホラービデオを借りた者の中にはヴァルター・クロンという29歳の前科者がいた。交通事故で死亡した女性の肉を食べた罪で7年間服役した男だ。
 こういう男がホンボシとは別にいることがドイツの凄さである。
 それはともかく、彼は現在もカニバリズムには興味があるようだったが「もう人喰いは辞めた」と頑なに主張した。主治医も彼の社会復帰に向けた努力を熱く語った。
 彼が容疑者リストから外された頃、最有力容疑者として浮上したべっぴんさんがいた。アンナ・ツィンマーマン(26)だった。

 それは7月26日のことだ。担当刑事がアンナの自宅を訪問した。
 若い女性だし、この事件とは関係ないだろう。
 そう思っていた刑事だったが、アパートの内部は予想とは違った。クモやヘビが部屋の中を這い回り、檻の中ではトカゲやネズミがうろちょろしている。棚にはスプラッターのビデオがびっしりと。ヤバ過ぎる空間だった。

「ええと…この写真の人物を知りませんかね? ヨセフ・ヴィルツというんですが」
 写真を見るなり、彼女はこう答えた。
「知りませんわ、そんな理髪師」
 理髪師? どうして彼の職業を知ってるんだ?
 アンナ・ツィンマーマンの身柄は直ちに押さえられた。現場に急行した鑑識は、冷蔵庫の中のタッパーウェアから続々と証拠を発見した。もっとも、一目見ただけでは人の肉なのか牛の肉なのかは判らない。しかし、指や耳やチンポコが出てくれば人であることは明らかである。
 人のチンポコと牛のチンポコは大きさが異なる。

 アンナとヨセフ・ヴィルツは2年ほど前から愛人関係にあった。
 アンナはヴィルヘルム・ツィンマーマンと婚姻関係にあり、当時6歳と4歳の子供をもうけていたが、その関係は冷えきっていた。二人は別居中だった。
 犯行の動機は不明である。とにかく、彼女は多くを語りたがらない。6月3日の晩、睡眠薬入りの酒をヨセフに飲ませた彼女は、そのまま絞殺しようとした。ところが、女の力ではうまく行かない。已むなく浴室まで引きずって溺死させた。それから、別居中の夫から借りたチェーンソーで解体し始めた。隣の部屋では、二人の子供がスヤスヤと寝ていたという。

 彼女の異常性が発揮されるのはここからだ。普通ならここでバラバラ屍体を捨てに出掛ける。ところが、彼女はそうはしなかった。屍体の肉を骨まで削ぐと、それでシチューやステーキ、ミートパイを作り、二人の子供たちに、
「おいちい」
 と云わせていたのである。

 極めて異常な事件である。何が彼女をそうさせたのだろうか?
 動機の本当のところはいろいろと考えられる。しかし、ここでは敢えて私見には触れまい。各自で想像して頂きたい。

(2007年3月2日執筆・2014年6月10日加筆/岸田裁月) 


参考文献

『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


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