アーサー・デヴェロー
Arthur Devereux (イギリス)



妻子の遺体が詰められていたトランク

 近年、我が国では親による子殺しが大流行している。そのほとんどが身勝手な虐待の延長で、切羽詰まったものが全く感じられない。
 かつての子殺しにはもっと深刻な背景があった。故に同情に値するケースも少なくない。例えば、ウィリアム・グールドストンのケースは生活苦に基づくノイローゼが原因だった。本件はこれによく似ている。しかし、跡取りである長男を残し、代わりに妻を殺したアーサー・デヴェローの犯行には多少の計算が窺える。グールドストンのように狂気に支配された衝動的な犯行とまでは云えないだろう。

 ロンドン在住の薬剤師助手、アーサー・デヴェローがベアトレスと結婚したのは1898年10月のことである。翌年8月には長男のスタンレーが生まれて、夫婦仲は至って円満だった。ところが、4年後の1903年に状況は一変する。ベアトレスがまたしても妊娠し、なんと双子を産んでしまうのである。助手としての少ない給金では一家3人の暮らしを支えるのがやっとだというのに、いきなり2人も増えてしまったのだ。それでも翌年には昇格し、キルバーンにある薬局の店長に抜擢される。
「よかった。これでどうにか食って行ける」
 ところが喜びも束の間、店の売上げは一向に伸びず、デヴェローは半年足らずで解雇されてしまう1905年1月2日のことである。

 1ケ月半後の2月14日、ベアトレスの母グレゴリー夫人が久しぶりに孫の顔を拝みにやって来た。ところが、娘夫婦が住んでいたアパートは蛻の殻。どうして何の連絡もなしに引っ越したんだろう? 何か良からぬことがあったに違いない。彼女は何日もご近所を尋ね歩き、遂に荷物を運んだ運送屋を突き止めた。
「あれは2月7日でしたかねえ。たしかに5つの荷物をハーロウの貸し倉庫まで運びました。4つは普通のトランクでしたが、残りの1つがブリキ製のやたらと思いやつで、2人で持つのがやっとだったのを憶えてますよ」
 問題の貸し倉庫にはブリキのトランクだけが1つポツンと残されていた。この時点でだいたい何が入っているかは想像できる。恐る恐る開けてみると、案の定、ベアトレスと双子の腐乱死体が折り畳まれていた。

 やがて逮捕されたデヴェローは、長男と共にコンヴェントリーに移り住み、近くの薬局に勤務していた。長男は当然ながら、母親と2人の弟が殺されていたことなど知らなかった。
 デヴェローの弁明は以下の通り。

「あれは1月28日のことでした。私が就職の面接から帰宅すると、かすかにクロロホルムの臭いがしました。私は職業柄、クロロホルムとモルヒネの混合液を常備しているのですが、机の引き出しの中に鍵を掛けて厳重に保管しています。だから、普段は臭うようなことはないのです。おかしいなと思って確認すると、引き出しの中の瓶が空になっているじゃないですか。慌てて寝室に走ると、妻と双子の坊やがベッドの上で事切れていました。生活苦のために無理心中したのです」

 しかし、いくら気が動顛していたとはいえ、愛する妻と子の遺体をトランク詰めにして隠蔽するだろうか?
 決定的だったのは、犯行以前に方々の薬局に提出されていた履歴書である。その中で彼は「一男の父にして独身」と記載している。つまり彼は妻子の死を予め知っていたのだ。
 この履歴書の前には如何なる弁護も空回りするばかりだった。かくして有罪を評決されたデヴェローは、その年の8月15日に絞首刑に処された。

 なお、デヴェローの犯行だとしても、彼がどうやって妻にクロロホルムを飲ませたかについては疑問が残る。アデレイド・バートレットの項でも詳述したが、臭いが強くて喉を焼くクロロホルムを知らずに飲ませることは殆ど不可能なのだ。この点、咳止め薬と偽って飲ませたとの説があるが、果たしてそうだろうか? 無理があるように思える。
 思うに、デヴェローは妻に心中を持ちかけたのではないだろうか? それで妻だけに飲ませて自分は飲まずに生き延びた。だとすれば「妻は自殺」との彼の主張は半ば正しいことになる。

(2007年1月16日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


counter

BACK